仕事以外の事に全力を尽くしてます。

アラサーシングルマザーの日々の足取り

アラサーの井戸端会議

 

先日3/5既婚者、2/5バツイチの飲み会を開催。

アラサー女性が5人も集まると女子会とかは口が裂けても言えない。っていうかもはや死語

恥を知れっていう若い声が遠くの方で聞こえてくる

 

皆それぞれいろんな事を乗り越えてきたのではあろうけど、仲のいい女が5人も集まればとても楽しい。美味しいもの食べて飲んで、3軒もハシゴして童心(いや、独身)にかえりまくってきた。

 

一番仲の良い親友とは同じ子育て世代であるにも関わらず、そういや特に出産エピソードとか子どものことに関して話してこなかった。先日それはお互いに他人の子どもに興味がないからだと確信しあった。

 

ひとり臨月前の里帰り中マタニティを除き、皆子持ちであるが、それぞれ育児論は全く異なるもので、普段話さない内容な分かなり勉強になる。

 

皆の話を聞く限り私はだいぶドライな方なのかもしれない。薄々自分でも感じてはいたが…関心が無いわけではないし、勿論人並みの関心はある。子育ても義務感と責任感でやっている。ただ、世のお母さんたちと比べると子どもに対しての執着はほぼない。言葉の意味を理解して発言できるようになった今は特に、意思を持ったひとりの人間として接している。自分の母ともそうだ。学生時代は親に言えないことはたしかにあったけど、いわゆる友達親子っていう感じで母も娘だとは思ってないだろうし、私も母として思っていない。あくまで一人の人間、として対等に接している。

 

ひとりの友人が、前に子どもとの喧嘩のことをひとしきり話したあと、私は親である前に人間だ!と豪語していたねっていう話をした。ごもっとも。

育児を放棄しているわけではない、だれも子どもを家に置いて遊びに行ったりしているわけでもない。一人の人間として生きているとか、そこに加担するわけでも擁護するわけでもないけど、子どももいつか親元を離れるわけで、ひとりでは何もできなかった子どもが知らない間に一人の人間になってきている。

なんだったら親の私たちが子どもに対してどう接して良いのかわからなくなってるような状態なんです。

 

人道さえ外れないければ他の道はちょっと外したとしても、私はある程度のレールを敷いて可能性を持たせて、あとは必要最低限の愛があれば子どもも生きていけるし、自分もストレスにならない。(あ、あと身なりはキチンとした方がいい。)そういう育て方もアリだと思う。

 

ちなみに私は昔から人と同じ空間でずっといることが耐えられないので、子どもが小さい時から部屋は別。寝るのも別。人と一緒に寝るとなかなか寝付けないから。

 

アメリカンスタイルと言われた。

 

アリでしょう。

 

P.S.勿論恋愛っぽいトークもしたが、多分私の持論は(めんどくさすぎて)焼き鳥に掻き消された